2022.01.04
 

小泉今日子×小沢道成 <後編>
これからのものづくりに必要なのは、横の連帯


2022.01.04
 

小泉今日子×小沢道成 <後編>
これからのものづくりに必要なのは、横の連帯


小泉今日子さんとの対談に「前日からすごくワクワクしていました」と目を輝かせる小沢道成。実は、この場を借りて小泉さんに聞いてみたいことがありました。
 
それは、どうして小泉さんはプロデューサーの道を歩みはじめたかということ。演劇プロジェクト・EPOCH MANを立ち上げ、自らをセルフプロデュースする小沢にとって、「表」と「裏」というフィールドを自在に行き来する小泉さんは、憧れであり、刺激をもらえる存在でした。
 
後編では、小沢道成の視点から「小泉今日子」という生き方に迫っていきます。

 
 


 

小泉今日子さんとの対談に「前日からすごくワクワクしていました」と目を輝かせる小沢道成。実は、この場を借りて小泉さんに聞いてみたいことがありました。
 
それは、どうして小泉さんはプロデューサーの道を歩みはじめたかということ。演劇プロジェクト・EPOCH MANを立ち上げ、自らをセルフプロデュースする小沢にとって、「表」と「裏」というフィールドを自在に行き来する小泉さんは、憧れであり、刺激をもらえる存在でした。
 
後編では、小沢道成の視点から「小泉今日子」という生き方に迫っていきます。 


 

プロデュースを始めたのは、面白いと思う人が認知される場所をつくりたかったから
 
小沢 今回、小泉さんとお話しさせていただくにあたって、どうしても聞きたいことがあって。僕がEPOCH MANという演劇プロジェクトをやっているのも、俳優だけじゃ物足りなくなって、自分で自分をプロデュースしようと思ったからなんです。俳優ってやっぱり待ちの仕事じゃないですか。誰からも声をかけてもらえなかったら、本当に何もしないまま1年が過ぎちゃう。それが嫌で、自分で何かやってみるかとEPOCH MANを始めたんですけど、小泉さんがプロデューサーとしていろんな企画を立ち上げたりするようになったのは、どんな理由があったんですか。
小泉 プロデュースという意味では、歌手をやっていた若い頃から、そんなところはあったんですよね。
小沢 そうなんですか。
小泉 私を育ててくれようとする素敵な大人が周りにたくさんいて。たとえば、自分で歌詞を書いてごらんよって、歌詞を書く機会をつくってくれたり。次のアルバムを自分でプロデュースしますってなったときも、プロデュースってどういうことをやるの?っていう状態の私に、まず好きな作曲家と作詞家を並べてみて、その中で誰と誰が一緒にやったら面白いか考えてごらんって、ゼロから教えてくれる人がいたり。昔の自分の動画を観ても、意外と私服で出ていることが多くて。ああ、自分は昔からこういうことが好きなんだなって感じたりして。
小沢 そうか。初期の頃からもうプロデューサー的なことやっていたんですね。
小泉 そのうちコンサートの演出をしたり、他の人に歌詞を書いたり。そういう機会がどんどん増えていって、知らない間に身についたことがいっぱいあったんですよ。そんな中で、本格的にプロデューサーの仕事をやっていこうと思ったきっかけのひとつが、音楽にしても演劇にしてもそうだけど、素敵だな、面白いなと思う人はいっぱいいるのに、そういう人たちが認知される場所が少ないことがすごく悔しくて。だったら、自分でその機会をひとつでもつくろうと思ったのと、そうやってアクションを起こす人が一人でも増えれば、世の中が変わっていくんじゃないかなって。そういう想いがあって、プロデュース業に力を入れていくようになりました。
 
 
50になったら独立しようと決めていた
 
小沢 演劇自体はいつ頃から深く関わっていくようになったんですか。
小泉 私、初舞台が遅くて。31才のときに、地球ゴージャスの『紙のドレスを燃やす夜』という作品で初めて舞台に立ったんですね。すごい先輩の演技を間近で見られるのが楽しくて、ドラマとか映画の現場に呼ばれること自体は好きだったんですよ。でも、自分が演技をすることはどうしてもちょっと恥ずかしくて。もともとが歌手だったから、歌手の自分がどこまで役に入り込んで感情を出したらいいのかわからなかったというか。入り込みすぎて咎められるのが何より恥ずかしかったわけ、歌手のくせにって。でも、現場で見ていて、目を瞠るような表現をされる方って、蟹江敬三さんとか柄本明さんとか小林薫さんとか田中裕子さんとか加藤治子さんとか、演劇出身の先輩だったんです。だからいつかは洗礼を受けないといけないとわかっていたけど。じゃあどの作品をやるってなったら、絶対これもできない、あれもできないってなると思った。なので、30才のときに、次に舞台のお話をもらったら台本を見ないでやるって決めて。
小沢 面白い(笑)。内容も知らずに?
小泉 それしか方法がないと思って。マネジャーにも「私に勧めていいか悪いかぐらいの判断はしてくれていいけど、あとはもう話が来たら台本を読まずにやるから」って伝えて。そのタイミングでいただいたのが、『紙のドレスを燃やす夜』のお話だったんです。
小沢 すごい話。やってみてどうでしたか。
小泉 最初に(地球ゴージャスの主宰を務める)岸谷五朗さんに「私、ジャージすら持ってないですからね。ルールも何もわかってないですから、手取り足取り教えてください」ってお願いして。そしたらジャージを1着買ってくれたんですよ、寺脇康文さんと2人で。
小沢 これで稽古に励んでくださいと(笑)。
小泉 そう。アンサンブルやダンサーの人たちもいっぱいいて、学校みたいな感じで楽しくて。度胸試しじゃないけど、初舞台としてはすごくいい環境だったから、まったく舞台のことを嫌にならず、そこからどんどんやっていくようになりました。
小沢 そこから演劇にハマッていって。
小泉 ハマッたんでしょうね。最初は友達が出てるのは全部観に行ってたけど、そのうち好みがちゃんとわかってくるみたいな感じで。
小沢 いろんな演劇がありますからね。
小泉 途中から小さい劇場に行くことが多くなりましたね。大きいところに行ったら、途中で時計見たくなっちゃうことが多くて(笑)。小さい劇場の、なんだろう、やっている人たちの誠実さみたいなものの方がやっぱり観ていて楽しかったりして。もちろん大きいところでも素敵なものはあるんだけど、テレビのキャスティングがそのまま来ちゃってるものとか、なんでわざわざ劇場で観なきゃいけないんだみたいな気になっちゃうじゃないですか。
小沢 さっきからめっちゃカッコいい発言が続出(笑)。
小泉 私、もう守るものがないから(笑)。
小沢 そのフレーズ、見出しになりますね(笑)。
小泉 プロデューサーをやってるとわかるんですよ、このキャパを埋めるためにも人気がある人に来てほしいというのも。だから、結局大きいところでやろうとすると、そういう無理をしなきゃいけなくて。でも、小さい劇場なら、余計なことを考えずにやりたいことを追求できるし。仮に小さい劇場にちょっと知名度が高い方が出てたら、この人はこのお芝居に出たくて出ているんだろうな、演劇が本当に好きなんだろうなっていうふうに見えてカッコよかったりするじゃない?
小沢 完全に発想がプロデューサー脳ですね(笑)。
小泉 そうこうしているうちにまた時間が過ぎて。ずっと考えてはいたんですよ、50才になったら独立しようって。
小沢 決めていたんですね。
小泉 私はデビューからずっと同じ事務所にお世話になっていて。それこそ子どもの頃からずっといたから、やっぱり辞めるとなってもそう簡単な話ではなくて。ありがたいことに、事務所のみなさんは私を本当の娘のように感じてくれていたから、なかなか話が前に進まなかったんです。でもやっぱり50才になったらという気持ちはあったから、ひとまず2015年に株式会社明後日という制作会社を立ち上げて、その次の年に『日の本一の大悪党』という舞台で演出とプロデュースをやって。そうやって、ちょっとずつ準備をしながら、最終的には2018年に事務所を離れて。そこからは、裏方業をメインでやりつつという感じです。
 
 

プロデュースを始めたのは、面白いと思う人が認知される場所をつくりたかったから
 
小沢 今回、小泉さんとお話しさせていただくにあたって、どうしても聞きたいことがあって。僕がEPOCH MANという演劇プロジェクトをやっているのも、俳優だけじゃ物足りなくなって、自分で自分をプロデュースしようと思ったからなんです。俳優ってやっぱり待ちの仕事じゃないですか。誰からも声をかけてもらえなかったら、本当に何もしないまま1年が過ぎちゃう。それが嫌で、自分で何かやってみるかとEPOCH MANを始めたんですけど、小泉さんがプロデューサーとしていろんな企画を立ち上げたりするようになったのは、どんな理由があったんですか。
小泉 プロデュースという意味では、歌手をやっていた若い頃から、そんなところはあったんですよね。
小沢 そうなんですか。
小泉 私を育ててくれようとする素敵な大人が周りにたくさんいて。たとえば、自分で歌詞を書いてごらんよって、歌詞を書く機会をつくってくれたり。次のアルバムを自分でプロデュースしますってなったときも、プロデュースってどういうことをやるの?っていう状態の私に、まず好きな作曲家と作詞家を並べてみて、その中で誰と誰が一緒にやったら面白いか考えてごらんって、ゼロから教えてくれる人がいたり。昔の自分の動画を観ても、意外と私服で出ていることが多くて。ああ、自分は昔からこういうことが好きなんだなって感じたりして。
小沢 そうか。初期の頃からもうプロデューサー的なことやっていたんですね。
小泉 そのうちコンサートの演出をしたり、他の人に歌詞を書いたり。そういう機会がどんどん増えていって、知らない間に身についたことがいっぱいあったんですよ。そんな中で、本格的にプロデューサーの仕事をやっていこうと思ったきっかけのひとつが、音楽にしても演劇にしてもそうだけど、素敵だな、面白いなと思う人はいっぱいいるのに、そういう人たちが認知される場所が少ないことがすごく悔しくて。だったら、自分でその機会をひとつでもつくろうと思ったのと、そうやってアクションを起こす人が一人でも増えれば、世の中が変わっていくんじゃないかなって。そういう想いがあって、プロデュース業に力を入れていくようになりました。
 
 
50になったら独立しようと決めていた
 
小沢 演劇自体はいつ頃から深く関わっていくようになったんですか。
小泉 私、初舞台が遅くて。31才のときに、地球ゴージャスの『紙のドレスを燃やす夜』という作品で初めて舞台に立ったんですね。すごい先輩の演技を間近で見られるのが楽しくて、ドラマとか映画の現場に呼ばれること自体は好きだったんですよ。でも、自分が演技をすることはどうしてもちょっと恥ずかしくて。もともとが歌手だったから、歌手の自分がどこまで役に入り込んで感情を出したらいいのかわからなかったというか。入り込みすぎて咎められるのが何より恥ずかしかったわけ、歌手のくせにって。でも、現場で見ていて、目を瞠るような表現をされる方って、蟹江敬三さんとか柄本明さんとか小林薫さんとか田中裕子さんとか加藤治子さんとか、演劇出身の先輩だったんです。だからいつかは洗礼を受けないといけないとわかっていたけど。じゃあどの作品をやるってなったら、絶対これもできない、あれもできないってなると思った。なので、30才のときに、次に舞台のお話をもらったら台本を見ないでやるって決めて。
小沢 面白い(笑)。内容も知らずに?
小泉 それしか方法がないと思って。マネジャーにも「私に勧めていいか悪いかぐらいの判断はしてくれていいけど、あとはもう話が来たら台本を読まずにやるから」って伝えて。そのタイミングでいただいたのが、『紙のドレスを燃やす夜』のお話だったんです。
小沢 すごい話。やってみてどうでしたか。
小泉 最初に(地球ゴージャスの主宰を務める)岸谷五朗さんに「私、ジャージすら持ってないですからね。ルールも何もわかってないですから、手取り足取り教えてください」ってお願いして。そしたらジャージを1着買ってくれたんですよ、寺脇康文さんと2人で。
小沢 これで稽古に励んでくださいと(笑)。
小泉 そう。アンサンブルやダンサーの人たちもいっぱいいて、学校みたいな感じで楽しくて。度胸試しじゃないけど、初舞台としてはすごくいい環境だったから、まったく舞台のことを嫌にならず、そこからどんどんやっていくようになりました。
小沢 そこから演劇にハマッていって。
小泉 ハマッたんでしょうね。最初は友達が出てるのは全部観に行ってたけど、そのうち好みがちゃんとわかってくるみたいな感じで。
小沢 いろんな演劇がありますからね。
小泉 途中から小さい劇場に行くことが多くなりましたね。大きいところに行ったら、途中で時計見たくなっちゃうことが多くて(笑)。小さい劇場の、なんだろう、やっている人たちの誠実さみたいなものの方がやっぱり観ていて楽しかったりして。もちろん大きいところでも素敵なものはあるんだけど、テレビのキャスティングがそのまま来ちゃってるものとか、なんでわざわざ劇場で観なきゃいけないんだみたいな気になっちゃうじゃないですか。
小沢 さっきからめっちゃカッコいい発言が続出(笑)。
小泉 私、もう守るものがないから(笑)。
小沢 そのフレーズ、見出しになりますね(笑)。
小泉 プロデューサーをやってるとわかるんですよ、このキャパを埋めるためにも人気がある人に来てほしいというのも。だから、結局大きいところでやろうとすると、そういう無理をしなきゃいけなくて。でも、小さい劇場なら、余計なことを考えずにやりたいことを追求できるし。仮に小さい劇場にちょっと知名度が高い方が出てたら、この人はこのお芝居に出たくて出ているんだろうな、演劇が本当に好きなんだろうなっていうふうに見えてカッコよかったりするじゃない?
小沢 完全に発想がプロデューサー脳ですね(笑)。
小泉 そうこうしているうちにまた時間が過ぎて。ずっと考えてはいたんですよ、50才になったら独立しようって。
小沢 決めていたんですね。
小泉 私はデビューからずっと同じ事務所にお世話になっていて。それこそ子どもの頃からずっといたから、やっぱり辞めるとなってもそう簡単な話ではなくて。ありがたいことに、事務所のみなさんは私を本当の娘のように感じてくれていたから、なかなか話が前に進まなかったんです。でもやっぱり50才になったらという気持ちはあったから、ひとまず2015年に株式会社明後日という制作会社を立ち上げて、その次の年に『日の本一の大悪党』という舞台で演出とプロデュースをやって。そうやって、ちょっとずつ準備をしながら、最終的には2018年に事務所を離れて。そこからは、裏方業をメインでやりつつという感じです。

 
いつか小泉さんの一人芝居を書いてみたい
 
小沢 僕、いつか小泉さんの一人芝居も書いてみたいです。
小泉 嫌だ、一人芝居はやりたくない(笑)。
小沢 (笑)。
小泉 私は本当に下手だからできない。それこそどこまで役に入り込んでいいんだろうってわからなくなると思う。
小沢 実はプロットもつくってあるんですよ、小泉さんをイメージした一人芝居の。一人は嫌ですか。
小泉 ずっと舞台の上に立ってなきゃいけないんでしょう?
小沢 そうですね。立ってなきゃいけないですね(笑)。
小泉 私、演者としての表現に対してあんまり欲がないタイプなんです。言われたら頑張ってやるけど、自分からはあんまり何も出てこないみたいな。
小沢 そうか。だからいいっていうのもあるかもしれない。だって欲望メラメラの人の演技って……みたいなところあるから(笑)。
小泉 何にも考えてないから、ほっといたら本当にひどいこととかしちゃう。だから、演出家は厳しい方が好きです。
小沢 言われたらやるんですもんね。
小泉 そう。逆に、演出家の人が優柔不断だと豹変するタイプ。ずっとふわふわしたことを言ってると、「だからさ、ここはこうなわけでしょ」って急に仕切りだす(笑)。前にある映画の現場で、監督が子役の子にわけのわからないことを言ってて。最初は黙って見てたのに、子役の子もあまりにもキョトンとしていたから、つい途中で割って入って、私から子役の子に教えてた。そういう自分に対して、私、なに欲を出して人の演技に口出ししてるんだろうって思うんだけど。
小沢 それもプロデュース脳なんじゃないですか。
小泉 そうそう。全体が良くなりたいタイプなんだと思う。
小沢 だから、上手く回ってないものとか見てるとどうしても良くしたくなっちゃう。
小泉 関わるんだったら作品全体を底上げしたいじゃないですか。
小沢 やっぱりもともとプロデュース力があるっていうことなんでしょうね。
小泉 子役の子とお芝居をすると、中には「このタイミングでこっちを向いて」って監督から段取り芝居を教えられている子もいるんですね。そういうのを見ていると、子どもだって動機が埋まってないとできないだろうって思っちゃう。だから、私は自分がお母さん役をやるときは、お弁当一緒に食べるよって誘って、一緒にご飯を食べながら、いろんな話を聞き出して、そのまんまの空気で撮影に入るっていうやり方をよくとっています。
 

 
いつか小泉さんの一人芝居を書いてみたい
 
小沢 僕、いつか小泉さんの一人芝居も書いてみたいです。
小泉 嫌だ、一人芝居はやりたくない(笑)。
小沢 (笑)。
小泉 私は本当に下手だからできない。それこそどこまで役に入り込んでいいんだろうってわからなくなると思う。
小沢 実はプロットもつくってあるんですよ、小泉さんをイメージした一人芝居の。一人は嫌ですか。
小泉 ずっと舞台の上に立ってなきゃいけないんでしょう?
小沢 そうですね。立ってなきゃいけないですね(笑)。
小泉 私、演者としての表現に対してあんまり欲がないタイプなんです。言われたら頑張ってやるけど、自分からはあんまり何も出てこないみたいな。
小沢 そうか。だからいいっていうのもあるかもしれない。だって欲望メラメラの人の演技って……みたいなところあるから(笑)。
小泉 何にも考えてないから、ほっといたら本当にひどいこととかしちゃう。だから、演出家は厳しい方が好きです。
小沢 言われたらやるんですもんね。
小泉 そう。逆に、演出家の人が優柔不断だと豹変するタイプ。ずっとふわふわしたことを言ってると、「だからさ、ここはこうなわけでしょ」って急に仕切りだす(笑)。前にある映画の現場で、監督が子役の子にわけのわからないことを言ってて。最初は黙って見てたのに、子役の子もあまりにもキョトンとしていたから、つい途中で割って入って、私から子役の子に教えてた。そういう自分に対して、私、なに欲を出して人の演技に口出ししてるんだろうって思うんだけど。
小沢 それもプロデュース脳なんじゃないですか。
小泉 そうそう。全体が良くなりたいタイプなんだと思う。
小沢 だから、上手く回ってないものとか見てるとどうしても良くしたくなっちゃう。
小泉 関わるんだったら作品全体を底上げしたいじゃないですか。
小沢 やっぱりもともとプロデュース力があるっていうことなんでしょうね。
小泉 子役の子とお芝居をすると、中には「このタイミングでこっちを向いて」って監督から段取り芝居を教えられている子もいるんですね。そういうのを見ていると、子どもだって動機が埋まってないとできないだろうって思っちゃう。だから、私は自分がお母さん役をやるときは、お弁当一緒に食べるよって誘って、一緒にご飯を食べながら、いろんな話を聞き出して、そのまんまの空気で撮影に入るっていうやり方をよくとっています。

 
「今、脇役強化月間だから」ってマネージャーに言ってました
 
小沢 『贖罪』のお母さん役とかすごい好きでした。怖!って(笑)。
小泉 ああいう役は楽しいですね(笑)。
小沢 単に綺麗なだけのお母さんじゃないというか。狂気がものすごくお似合いになるから。
小泉 普通のお母さん役があんまり来ないんですよね。
小沢 確かに!
小泉 朝ドラ(『あまちゃん』)でお母さん役が来たときも、「あれ? 私が思っているお母さんじゃない」って…(笑)
小沢 もうそれがぴったりなんでしょうね。僕としてはちょうど『踊る大捜査線』の世代だから、あの犯人役のインパクトが強くて。
小泉 『踊る〜』の映画が1998年。ちょうどその頃、歌手でいることに限界じゃないですけど、疲れを感じはじめていたんですね。私は新しい曲やアルバムをつくることで、ファンのみなさんにうれしい裏切りを提供したかったし、応援してくれている人たちもそれを期待してくれていると勝手に思っていたんですけど。そういううれしい裏切りを与えるような面白いアイデアが出てこなくなってきて。ここからは音楽はできるときにやって、活動の軸足を歌手から女優に移そうと考えていた頃でした。それまでは映画にしてもドラマにしても、あくまで歌手の小泉今日子がお芝居をやっているという前提で。だから、自分でも自分の役者としての実力がまったくわからなくて。それを知りたくて、マネージャーに「私、今、脇役強化月間だから、脇役とかチョイ役とか悪役が来ても絶対に断らないで」って言ってたんです。
小沢 へ〜! チョイ役でも?
小泉 カメオ的な出演でもいいから、とにかくいっぱい現場を見たかった。ちょうどその頃に『踊る〜』のオファーをいただいたんです。で、そこから小泉今日子はこういう役もやるんだっていろんな人が思ってくれたみたいで。『共犯者』で竹中直人さんとガンアクションをやったり。『風花』で相米慎二監督とご一緒させてもらったり。『贖罪』は黒沢清監督ですけど、黒沢さんと初めてご一緒したのも『トウキョウソナタ』という映画でした。
 
――2000年以降、監督の作家性が高い映画によく出演されるようになったなという印象があります。
 
小泉 やっぱり目に留まったんだと思います。相米さんがインタビューで「竹中の現場を見に行って、小泉今日子が自分を持て余してるように見えたから声をかけた」というようなことを言っていたみたいで。何か目標に向かって行動していると、誰かの心に引っかかることはあるんだなと。小沢くんの『鶴〜』もそうですよね。何度もやり続けることで、観てくれる人が増えて、私みたいに誰かのツイートがきっかけでそれまで知らなかったお客さんにまで届くようになって。そんなふうに、この記事を読んで小沢くんに興味を持ってくれる人がいたらいいなと思いながら今日は来ました。
 

 
「今、脇役強化月間だから」ってマネージャーに言ってました
 
小沢 『贖罪』のお母さん役とかすごい好きでした。怖!って(笑)。
小泉 ああいう役は楽しいですね(笑)。
小沢 単に綺麗なだけのお母さんじゃないというか。狂気がものすごくお似合いになるから。
小泉 普通のお母さん役があんまり来ないんですよね。
小沢 確かに!
小泉 朝ドラ(『あまちゃん』)でお母さん役が来たときも、「あれ? 私が思っているお母さんじゃない」って…(笑)
小沢 もうそれがぴったりなんでしょうね。僕としてはちょうど『踊る大捜査線』の世代だから、あの犯人役のインパクトが強くて。
小泉 『踊る〜』の映画が1998年。ちょうどその頃、歌手でいることに限界じゃないですけど、疲れを感じはじめていたんですね。私は新しい曲やアルバムをつくることで、ファンのみなさんにうれしい裏切りを提供したかったし、応援してくれている人たちもそれを期待してくれていると勝手に思っていたんですけど。そういううれしい裏切りを与えるような面白いアイデアが出てこなくなってきて。ここからは音楽はできるときにやって、活動の軸足を歌手から女優に移そうと考えていた頃でした。それまでは映画にしてもドラマにしても、あくまで歌手の小泉今日子がお芝居をやっているという前提で。だから、自分でも自分の役者としての実力がまったくわからなくて。それを知りたくて、マネージャーに「私、今、脇役強化月間だから、脇役とかチョイ役とか悪役が来ても絶対に断らないで」って言ってたんです。
小沢 へ〜! チョイ役でも?
小泉 カメオ的な出演でもいいから、とにかくいっぱい現場を見たかった。ちょうどその頃に『踊る〜』のオファーをいただいたんです。で、そこから小泉今日子はこういう役もやるんだっていろんな人が思ってくれたみたいで。『共犯者』で竹中直人さんとガンアクションをやったり。『風花』で相米慎二監督とご一緒させてもらったり。『贖罪』は黒沢清監督ですけど、黒沢さんと初めてご一緒したのも『トウキョウソナタ』という映画でした。
 
――2000年以降、監督の作家性が高い映画によく出演されるようになったなという印象があります。
 
小泉 やっぱり目に留まったんだと思います。相米さんがインタビューで「竹中の現場を見に行って、小泉今日子が自分を持て余してるように見えたから声をかけた」というようなことを言っていたみたいで。何か目標に向かって行動していると、誰かの心に引っかかることはあるんだなと。小沢くんの『鶴〜』もそうですよね。何度もやり続けることで、観てくれる人が増えて、私みたいに誰かのツイートがきっかけでそれまで知らなかったお客さんにまで届くようになって。そんなふうに、この記事を読んで小沢くんに興味を持ってくれる人がいたらいいなと思いながら今日は来ました。

 
『鶴かもしれない2022』は、一人じゃ生まれなかったものができると思う
 
小沢 今日、めちゃくちゃ緊張するかと思ったんですよ。でも、小泉さんはどうしてここまで気さくなんだろうというくらい気さくで。この対談の前に撮影があったんですけど、全身を撮らなきゃいけなくなった途端、小泉さんが履いてたスリッパをスパーンッて脱ぎ飛ばしたのを見て、めっちゃ好きって思いました(笑)。
小泉 あはは。お里が知れるよね(笑)。
小沢 すごい素敵だと思いました。ぜひいつか一緒に何かできるように頑張ります。
小泉 本当に何か一緒にやりたいですよね。それがどういう役割かは一旦置いておいて。
小沢 ぜひ!
小泉 今って、この何十年か続いてきた古いものづくりのやり方から脱却できるチャンスなのかなと思っていて。特に昨年、『asatte FORCE』という企画を本多劇場でやれたときに、そう感じたんです。『asatte FORCE』は、ブス会*だったり、とくお組だったり、いろんな団体や俳優たちが演劇やライブ、朗読をやるという企画で。日替わりの演目を3週間分、明後日の仕切りで埋められたことはすごく大きかったし、それができたのも横のつながりがあったから。これからは、そういう横の連帯が必要になってくると思っているんです。ひと団体ではできないけど、一緒だったらできることって絶対あると思うので。
小沢 絶対ありますよね。
小泉 たぶんこれからの時代、無理がいちばん必要のないものになってくる気がする。今まで一人でずっとやってきたから一人でやらなきゃとか、そういう無理をすることが必要なくなるんじゃないかって。
小沢 そう思います。実はこれまで自分の作品では美術も必ず僕が担当していたんですけど、次の『鶴かもしれない2022』では山本貴愛さんというプロの方にお願いすることにしたんです。きっと僕一人じゃ生まれてこなかったようなものができると思うから、ぜひ楽しみにしていてください。
小泉 楽しみにしています!
小沢 今日は本当にお会いできてうれしかったです。またぜひお喋りもさせてください。ありがとうございました!
 

 
『鶴かもしれない2022』は、一人じゃ生まれなかったものができると思う
 
小沢 今日、めちゃくちゃ緊張するかと思ったんですよ。でも、小泉さんはどうしてここまで気さくなんだろうというくらい気さくで。この対談の前に撮影があったんですけど、全身を撮らなきゃいけなくなった途端、小泉さんが履いてたスリッパをスパーンッて脱ぎ飛ばしたのを見て、めっちゃ好きって思いました(笑)。
小泉 あはは。お里が知れるよね(笑)。
小沢 すごい素敵だと思いました。ぜひいつか一緒に何かできるように頑張ります。
小泉 本当に何か一緒にやりたいですよね。それがどういう役割かは一旦置いておいて。
小沢 ぜひ!
小泉 今って、この何十年か続いてきた古いものづくりのやり方から脱却できるチャンスなのかなと思っていて。特に昨年、『asatte FORCE』という企画を本多劇場でやれたときに、そう感じたんです。『asatte FORCE』は、ブス会*だったり、とくお組だったり、いろんな団体や俳優たちが演劇やライブ、朗読をやるという企画で。日替わりの演目を3週間分、明後日の仕切りで埋められたことはすごく大きかったし、それができたのも横のつながりがあったから。これからは、そういう横の連帯が必要になってくると思っているんです。ひと団体ではできないけど、一緒だったらできることって絶対あると思うので。
小沢 絶対ありますよね。
小泉 たぶんこれからの時代、無理がいちばん必要のないものになってくる気がする。今まで一人でずっとやってきたから一人でやらなきゃとか、そういう無理をすることが必要なくなるんじゃないかって。
小沢 そう思います。実はこれまで自分の作品では美術も必ず僕が担当していたんですけど、次の『鶴かもしれない2022』では山本貴愛さんというプロの方にお願いすることにしたんです。きっと僕一人じゃ生まれてこなかったようなものができると思うから、ぜひ楽しみにしていてください。
小泉 楽しみにしています!
小沢 今日は本当にお会いできてうれしかったです。またぜひお喋りもさせてください。ありがとうございました!
 

取材・文:横川良明  写真:山野浩司

第1弾掲載
本 多 愼 一 郎
2021年11月13日 公開

 

第2弾掲載
徳 永 京 子
2021年12月6日 公開

 

第3弾掲載
小 泉 今 日 子
2021年12月25日 公開

 

第4弾掲載
谷 賢 一
2022年1月22日 公開

 

第5弾掲載
石 崎 ひ ゅ ー い
2022年2月5日 公開

  
 T O P  

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2021年11月13日 公開

 

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2021年12月25日 公開

 

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2022年2月5日 公開