2022.01.22
 

谷賢一×小沢道成
いい俳優さんって、どんな俳優さんですか?


2022.01.22
 

谷賢一×小沢道成
いい俳優さんって、どんな俳優さんですか?


『福島三部作』で第23回鶴屋南北戯曲賞、第64回岸田國士戯曲賞をW受賞。『LUNGS』(演出)、『17 AGAIN』(翻訳・演出)、『チョコレートドーナツ』(脚本)など活躍の場を広げる一方で、DULL-COLORED POPの主宰として劇団活動にも精力的に取り組む谷さんは、小沢にとっては良き相談相手であり、憧れでもあります。
 
共に「演劇に心酔している」と言ってはばからない2人が、俳優のこと、演出のこと、小劇場のことをたっぷり語り合いました。

 
 


 

『福島三部作』で第23回鶴屋南北戯曲賞、第64回岸田國士戯曲賞をW受賞。『LUNGS』(演出)、『17 AGAIN』(翻訳・演出)、『チョコレートドーナツ』(脚本)など活躍の場を広げる一方で、DULL-COLORED POPの主宰として劇団活動にも精力的に取り組む谷さんは、小沢にとっては良き相談相手であり、憧れでもあります。
 
共に「演劇に心酔している」と言ってはばからない2人が、俳優のこと、演出のこと、小劇場のことをたっぷり語り合いました。


 

読解力は、俳優にとって大事な能力だと思う
 
小沢 今日は谷さんに聞きたいことがいっぱいあって。まず演出についてなんですけど、谷さんとは以前『従軍中のウィトゲンシュタインが…(略)』(以下、『従軍中の〜』)でご一緒しましたけど、そのときは役者に考えさせるような演出でした。でも、他の作品を観ていると、たぶん『従軍中の〜』と同じようなやり方ではないんだろうなと感じることがあって。それこそポップな作品から文学的な作品まで幅広くやられていますけど、作品によって演出の手法を変えているんですか。
 そこはめちゃくちゃ変えていますよ。たとえば『従軍中の〜』は生の哲学に関する話。だから、こっちから指示するんじゃなく、ヒントは与えるけど、あとはなるべく役者たちに考えてもらう手法をとっていました。逆に、対極の例だと『17 AGAIN』はあれだけ大勢のキャストがいて、きっかけが多くて、場転も大変となると、僕が細部に至るまで指揮棒を振って、タイミングから歩数まで決めた方がバランスがとれて、演じる側も全力で歌ったり踊ったりできる。作品のテイストによって、演出側が決める分量というのは明確に変えていますね。
小沢 そうなんですね。僕もこの間、『水深ゼロメートルから』という作品をやらせてもらって。改めていい俳優ってなんだろうということを考えるようになりました。谷さんはいろんな現場でいろんな俳優さんを見てきたと思うんですけど、そんな中で谷さんが思ういい俳優ってどんな俳優か聞かせてもらってもいいですか。
 難しいなあ。シチュエーションが変われば、必要とされる俳優の力って変わるので。
小沢 どういうことですか?
 たとえば、ある現場では、周りの人との潤滑油になったり、みんなでディスカッションしたり一緒に何かトライする空気をつくり出せるような調整型の人が評価されることもあれば、別の現場では俺が俺がというワンマンプレーが突破口になることもある。だから一概に定義はできないし、あんまりこれがいいですよと言わないようにしてるんだけど、特に若い方向けによく言っているのは、読解力。
小沢 やっぱりそうなんだ。
 要は、作家や演出家や共演者が何をやりたがっているのかをちゃんと読み取った上で、それを達成するために自分はどう動けばいいか考えられる人ですよね。それをこっちから全部手取り足取り教えていると、何のために共同作業しているんだろうという気になる。ちゃんと自分で読み取れる人との仕事は楽しいし、読解力は俳優にとって大事な能力だと思う。
小沢 僕も俳優だけをやってたときは、自分の演技のことしか考えていなかったんですよね。
 そうだったの? そんなふうにはあまり見えなかったけどね。
小沢 特に演技を始めたばかりの頃は、自分の台詞をどう言おうということばかりに思考が向きがちでした。
 みっちーはどういう俳優がいい俳優さんだと思うの?
小沢 僕はなんだろう…。自分のエゴがバレない俳優さんかな。客席で観ていても、こういう表現がしたいんだろうなっていうのがバレる人っていません? でもそれはその人がやりたい表現の方法であって、台本に沿っているかは別の話。重要なのは、我(が)をどれだけ抑え込めるか。俳優さん自身のエゴが溢れ出るよりも、役としてのエゴが溢れ出る方が素敵、みたいな。自分がやりたい表現がこれだからじゃなくて、台本にこう書かれているから、こうやるというスタンスの方が俳優としては正しい気がしています。
 
 
劇団は、自分の責任で好き勝手にできる場所
 
小沢 谷さんは商業の舞台もいろいろやりつつ、DULL-COLORED POP(以下、ダルカラ)もずっとやってらっしゃいますが、谷さんにとってダルカラは実験的なことができる場所という位置付けなんですか。
 自分の劇団って、いちいち判子を回収しなくてすむんですよね。それこそプロデュース公演でやるとしたら、企画書をつくって、内容を考えて、プロデューサーから劇場さんから主演俳優の事務所さんから全部に話を通さないと、なかなか攻めたことってできない。けど、劇団だったら僕が責任を取りますの一言で好き勝手できちゃう。そういう意味では、ちょっと攻めた作品をやりやすい場所ではあると思います。
小沢 谷さんは俳優さんを育てるということもすごくお得意というか、好きそうな感じもあります。
 なんだろう。もともと学校の先生になりたかったのもあって、人を育てることは興味がある分野だし。あと、縁起でもないけど、そろそろ自分がどう死んでいくのかみたいなことを真剣に考えるようになって。
小沢 え!
 いつ死ぬかなんてわからないからね。俺なんて不摂生しまくりだからさ、あとがないぞという気持ちもあり。体が効かなくなりはじめたら、大きな仕事ってもう手がつけられないじゃない? そう考えると、意外と早めに始めないといけないぞと思って、人に自分の知識を教えたり、書き残しておこうみたいなことは積極的にやろうとしているかも。
 

読解力は、俳優にとって大事な能力だと思う
 
小沢 今日は谷さんに聞きたいことがいっぱいあって。まず演出についてなんですけど、谷さんとは以前『従軍中のウィトゲンシュタインが…(略)』(以下、『従軍中の〜』)でご一緒しましたけど、そのときは役者に考えさせるような演出でした。でも、他の作品を観ていると、たぶん『従軍中の〜』と同じようなやり方ではないんだろうなと感じることがあって。それこそポップな作品から文学的な作品まで幅広くやられていますけど、作品によって演出の手法を変えているんですか。
 そこはめちゃくちゃ変えていますよ。たとえば『従軍中の〜』は生の哲学に関する話。だから、こっちから指示するんじゃなく、ヒントは与えるけど、あとはなるべく役者たちに考えてもらう手法をとっていました。逆に、対極の例だと『17 AGAIN』はあれだけ大勢のキャストがいて、きっかけが多くて、場転も大変となると、僕が細部に至るまで指揮棒を振って、タイミングから歩数まで決めた方がバランスがとれて、演じる側も全力で歌ったり踊ったりできる。作品のテイストによって、演出側が決める分量というのは明確に変えていますね。
小沢 そうなんですね。僕もこの間、『水深ゼロメートルから』という作品をやらせてもらって。改めていい俳優ってなんだろうということを考えるようになりました。谷さんはいろんな現場でいろんな俳優さんを見てきたと思うんですけど、そんな中で谷さんが思ういい俳優ってどんな俳優か聞かせてもらってもいいですか。
 難しいなあ。シチュエーションが変われば、必要とされる俳優の力って変わるので。
小沢 どういうことですか?
 たとえば、ある現場では、周りの人との潤滑油になったり、みんなでディスカッションしたり一緒に何かトライする空気をつくり出せるような調整型の人が評価されることもあれば、別の現場では俺が俺がというワンマンプレーが突破口になることもある。だから一概に定義はできないし、あんまりこれがいいですよと言わないようにしてるんだけど、特に若い方向けによく言っているのは、読解力。
小沢 やっぱりそうなんだ。
 要は、作家や演出家や共演者が何をやりたがっているのかをちゃんと読み取った上で、それを達成するために自分はどう動けばいいか考えられる人ですよね。それをこっちから全部手取り足取り教えていると、何のために共同作業しているんだろうという気になる。ちゃんと自分で読み取れる人との仕事は楽しいし、読解力は俳優にとって大事な能力だと思う。
小沢 僕も俳優だけをやってたときは、自分の演技のことしか考えていなかったんですよね。
 そうだったの? そんなふうにはあまり見えなかったけどね。
小沢 特に演技を始めたばかりの頃は、自分の台詞をどう言おうということばかりに思考が向きがちでした。
 みっちーはどういう俳優がいい俳優さんだと思うの?
小沢 僕はなんだろう…。自分のエゴがバレない俳優さんかな。客席で観ていても、こういう表現がしたいんだろうなっていうのがバレる人っていません? でもそれはその人がやりたい表現の方法であって、台本に沿っているかは別の話。重要なのは、我(が)をどれだけ抑え込めるか。俳優さん自身のエゴが溢れ出るよりも、役としてのエゴが溢れ出る方が素敵、みたいな。自分がやりたい表現がこれだからじゃなくて、台本にこう書かれているから、こうやるというスタンスの方が俳優としては正しい気がしています。
 
 
劇団は、自分の責任で好き勝手にできる場所
 
小沢 谷さんは商業の舞台もいろいろやりつつ、DULL-COLORED POP(以下、ダルカラ)もずっとやってらっしゃいますが、谷さんにとってダルカラは実験的なことができる場所という位置付けなんですか。
 自分の劇団って、いちいち判子を回収しなくてすむんですよね。それこそプロデュース公演でやるとしたら、企画書をつくって、内容を考えて、プロデューサーから劇場さんから主演俳優の事務所さんから全部に話を通さないと、なかなか攻めたことってできない。けど、劇団だったら僕が責任を取りますの一言で好き勝手できちゃう。そういう意味では、ちょっと攻めた作品をやりやすい場所ではあると思います。
小沢 谷さんは俳優さんを育てるということもすごくお得意というか、好きそうな感じもあります。
 なんだろう。もともと学校の先生になりたかったのもあって、人を育てることは興味がある分野だし。あと、縁起でもないけど、そろそろ自分がどう死んでいくのかみたいなことを真剣に考えるようになって。
小沢 え!
 いつ死ぬかなんてわからないからね。俺なんて不摂生しまくりだからさ、あとがないぞという気持ちもあり。体が効かなくなりはじめたら、大きな仕事ってもう手がつけられないじゃない? そう考えると、意外と早めに始めないといけないぞと思って、人に自分の知識を教えたり、書き残しておこうみたいなことは積極的にやろうとしているかも。

 
小沢 今年の8月にやってたダルカラの『丘の上、ねむのき産婦人科』(以下、『ねむのき』)を拝見したんですけど。妊娠をテーマにした作品で、女性が女性、男性が男性を演じるバージョンと、女性が男性、男性が女性を演じるバージョンの2バージョンが上演されていたんですね。僕は両方観たんですけど、そしたら特典として、谷さんが書いた『異なる性/生を演じる』という演劇論をまとめたエッセイがもらえたんですよ。それがまた面白くて。これ、俳優さんが読んだら勉強になるなと思ったんですけど、そうか、残したい欲があるんですね。
 すごいあるし。あとは、俳優がどう演じてるのかとか、演劇はどうやって成り立っているのかみたいなことを考えるのがたぶん好きなんだと思う。そんなことにまったく興味がなく、自分のつくりたいことを外に出したいんですって人もいるだろうけど、僕は結構分析したりするのが楽しい人間で。
小沢 そこは僕も同じです。『鶴かもしれない』をずっとやり続けているのも、そういう理由かも。
 どういうこと?
小沢 面白い演劇って何だろうっていうのを追求してやり続けているのが、『鶴かもしれない』なんです。一人芝居って、ともすると演者のエゴが出すぎてしまうもの。しかも、僕の場合、演出もやっているので、これが本当に面白いのかどうか、自分で客観的に判断しなきゃいけない。それが難しいけど、面白くて。『鶴かもしれない2020』を観て、谷さんが、最後の男の人と女の人の心情をもっと聞きたかったと感想をくださったじゃないですか。同じ意見を他の方からもいただいて。当時はそれをどう描けばいいのかわからなかったんですけど。時間が経って、僕もまた少しずつ変わっていって。今なら描けるかもしれないと思って、『鶴かもしれない2022』ではそのくだりを増やそうと考えているところなんです。
 そうやって同じ作品を7年もワークするって、強靭な土台がないとできない。これだけ長く付き合える作品があるのは、すごいことだよね。
小沢 谷さんも『くろねこちゃんとベージュねこちゃん』をずっとやり続けてるじゃないですか。
 でも再演するたびに内容を変えたり、今の自分に合わせてアップデートしたりはあんまりしてないんだよね。『鶴かもしれない』はそのときの自分を盛り込みながらテキストまで変えてやっているんでしょう。それはすごいなあと思う。
 
 
みっちーの女性役には、可愛らしさとユーモアもがある
 
小沢 『ねむのき』もですけど、『くろねこちゃんとベージュねこちゃん』でも大原(研二)さんがお母さん役をやられていたり。谷さんは昔から俳優に性別が異なる役を普通にやってもらっていたじゃないですか。あれはどういう意図だったんですか。
 そこはパクリみたいなもんでさ(笑)。歌舞伎が好きだったというのもあるし、僕が小劇場をよく観ていた頃って、ハイバイとかが人気で、岩井(秀人)さんの芝居でも男性が女性役をやるのってしょっちゅうあったんですよ。それを観て面白いなと思ったのがあるかな。
小沢 『ねむのき』の男女逆転公演みたいなのって、宣伝的にもキャッチーだし、観たいという動機にもなるけど、それが当たり前のようにもっとあってもいいと思うんですけどね。
 そうね。極端な例を出すと、80歳の女性の役を20歳の男性がやると、今までは何か特別な意図があるように見られがちだったけど、もっとカジュアルに、特に理由はないですけど、役に合ってると思って起用しましたぐらいの感じでできるようになってもいいんじゃないかなとは僕も思う。もともと自分から遠いものにもなれるのが演劇の面白さだから。
小沢 『ねむのき』を観ていても、男性が男性、女性が女性を演じている方が物語はすっと入ってくるんです。性別が逆転していると、役を演じるという点では同じなはずなのに違和感はある。それがなぜか考えるのも面白くて。
 そうそう。その違和感の正体を分析していくと、社会の構造とか自分自身の見方や意識という、翻って作品じゃないところに原因が見えてきたりする。その感じが面白かったなと思う。
 
――そこで言うと、『鶴かもしれない』で小沢くんが女性を演じていることに対して、谷さんはどんな感想を抱きましたか。
 
 シンプルに動きとか表情とか綺麗だな可愛いなと思いつつ。
小沢 可愛いって言ってくれた!
 思ってます(笑)。でもそれだけだとナルシスティックで好きじゃないんですよ。そこに同時にユーモアを感じるところが魅力で。
小沢 ユーモア?
 何だろう。滑稽というとあれだけど、女性の可愛らしいところを誇張することで笑いに変えていたり。そこがうまいなと。
小沢 『ねむのき』の話でも出てきたような、男性が女性を演じている違和感はありますか。
 そりゃまったくないわけじゃないだろうけど。それを言い出したら、『従軍中〜』だって日本人がオーストリア人を演じているのはおかしいだろうという話になるから。そういう違和感が演劇を観る醍醐味でもあるし。なぜその違和感が発生しているのか。それは演じ手の問題なのか、観る側の問題なのかを考えたりする面白さにもなるから、むしろあっていいじゃんというふうに思います。
 

小沢 今年の8月にやってたダルカラの『丘の上、ねむのき産婦人科』(以下、『ねむのき』)を拝見したんですけど。妊娠をテーマにした作品で、女性が女性、男性が男性を演じるバージョンと、女性が男性、男性が女性を演じるバージョンの2バージョンが上演されていたんですね。僕は両方観たんですけど、そしたら特典として、谷さんが書いた『異なる性/生を演じる』という演劇論をまとめたエッセイがもらえたんですよ。それがまた面白くて。これ、俳優さんが読んだら勉強になるなと思ったんですけど、そうか、残したい欲があるんですね。
 すごいあるし。あとは、俳優がどう演じてるのかとか、演劇はどうやって成り立っているのかみたいなことを考えるのがたぶん好きなんだと思う。そんなことにまったく興味がなく、自分のつくりたいことを外に出したいんですって人もいるだろうけど、僕は結構分析したりするのが楽しい人間で。
小沢 そこは僕も同じです。『鶴かもしれない』をずっとやり続けているのも、そういう理由かも。
 どういうこと?
小沢 面白い演劇って何だろうっていうのを追求してやり続けているのが、『鶴かもしれない』なんです。一人芝居って、ともすると演者のエゴが出すぎてしまうもの。しかも、僕の場合、演出もやっているので、これが本当に面白いのかどうか、自分で客観的に判断しなきゃいけない。それが難しいけど、面白くて。『鶴かもしれない2020』を観て、谷さんが、最後の男の人と女の人の心情をもっと聞きたかったと感想をくださったじゃないですか。同じ意見を他の方からもいただいて。当時はそれをどう描けばいいのかわからなかったんですけど。時間が経って、僕もまた少しずつ変わっていって。今なら描けるかもしれないと思って、『鶴かもしれない2022』ではそのくだりを増やそうと考えているところなんです。
 そうやって同じ作品を7年もワークするって、強靭な土台がないとできない。これだけ長く付き合える作品があるのは、すごいことだよね。
小沢 谷さんも『くろねこちゃんとベージュねこちゃん』をずっとやり続けてるじゃないですか。
 でも再演するたびに内容を変えたり、今の自分に合わせてアップデートしたりはあんまりしてないんだよね。『鶴かもしれない』はそのときの自分を盛り込みながらテキストまで変えてやっているんでしょう。それはすごいなあと思う。
 
 
みっちーの女性役には、可愛らしさとユーモアもがある
 
小沢 『ねむのき』もですけど、『くろねこちゃんとベージュねこちゃん』でも大原(研二)さんがお母さん役をやられていたり。谷さんは昔から俳優に性別が異なる役を普通にやってもらっていたじゃないですか。あれはどういう意図だったんですか。
 そこはパクリみたいなもんでさ(笑)。歌舞伎が好きだったというのもあるし、僕が小劇場をよく観ていた頃って、ハイバイとかが人気で、岩井(秀人)さんの芝居でも男性が女性役をやるのってしょっちゅうあったんですよ。それを観て面白いなと思ったのがあるかな。
小沢 『ねむのき』の男女逆転公演みたいなのって、宣伝的にもキャッチーだし、観たいという動機にもなるけど、それが当たり前のようにもっとあってもいいと思うんですけどね。
 そうね。極端な例を出すと、80歳の女性の役を20歳の男性がやると、今までは何か特別な意図があるように見られがちだったけど、もっとカジュアルに、特に理由はないですけど、役に合ってると思って起用しましたぐらいの感じでできるようになってもいいんじゃないかなとは僕も思う。もともと自分から遠いものにもなれるのが演劇の面白さだから。
小沢 『ねむのき』を観ていても、男性が男性、女性が女性を演じている方が物語はすっと入ってくるんです。性別が逆転していると、役を演じるという点では同じなはずなのに違和感はある。それがなぜか考えるのも面白くて。
 そうそう。その違和感の正体を分析していくと、社会の構造とか自分自身の見方や意識という、翻って作品じゃないところに原因が見えてきたりする。その感じが面白かったなと思う。
 
――そこで言うと、『鶴かもしれない』で小沢くんが女性を演じていることに対して、谷さんはどんな感想を抱きましたか。
 
 シンプルに動きとか表情とか綺麗だな可愛いなと思いつつ。
小沢 可愛いって言ってくれた!
 思ってます(笑)。でもそれだけだとナルシスティックで好きじゃないんですよ。そこに同時にユーモアを感じるところが魅力で。
小沢 ユーモア?
 何だろう。滑稽というとあれだけど、女性の可愛らしいところを誇張することで笑いに変えていたり。そこがうまいなと。
小沢 『ねむのき』の話でも出てきたような、男性が女性を演じている違和感はありますか。
 そりゃまったくないわけじゃないだろうけど。それを言い出したら、『従軍中〜』だって日本人がオーストリア人を演じているのはおかしいだろうという話になるから。そういう違和感が演劇を観る醍醐味でもあるし。なぜその違和感が発生しているのか。それは演じ手の問題なのか、観る側の問題なのかを考えたりする面白さにもなるから、むしろあっていいじゃんというふうに思います。

 
カーテンコールが短いのは、恥ずかしいからです(笑)
 
小沢 テーマに対してはどんな印象を持ちましたか。『鶴の恩返し』や『鶴女房』の設定を現代に置き換えたら面白いんじゃないかというところから入った作品ではあるのですけど、すごく重いことを描いている自覚もあって。今は単にキャッチーというだけじゃ絶対にダメだと思って、いろいろ調べて更新してはいるんですけど。
 お話に含まれている深刻さを損なわずに上演しつつ。でも、お客さんを楽しませる工夫が随所に散りばめられているところが好印象でした。舞台美術のパネルが突然動いたり、ダンスがあったり。そういうエンタメ要素があったおかげで、楽しんで観ながら、最後に足払いを食らって倒れた感じがすごくして。演出家的なセンスの良さを感じたのはよく覚えています。
小沢 うれしい!
 あのバランスは本当にすごいなと思いましたよ。冒頭、ちょっとミニマルなところから入って、ラジカセと会話する面白さをしっかり見せた上で、これで60分やりきるのかなと思っていたら、ステージングがどんどん変わっていく。一人芝居なのにあれだけ衣装や照明を使って絵変わりしていくのはすごいこと。演出家って絵をつくる仕事だから。ちゃんと客席から見たときにどういう絵になっているのか客観視できているんだろうなと。
小沢 うれしいです。
 だから言ったのよ、もうちょっとカーテンコールやってもいいんじゃない?って。本当にシンプルだったじゃない? 明かりがついて、お辞儀したらすぐ帰るみたいな。もうちょっと長めにやってもいいんじゃないかっていう(笑)。
小沢 僕なんかがみたいな感覚があるから、すごい恥ずかしいんですよね、カーテンコールって。後ろに引っ込んだあと、拍手が鳴り止まなくても、舞台監督さんに「もういいです」って言っちゃう(笑)。どんどん絵変わりをさせていくのも、僕自身を60分も見るなんて、そんなつまらないことないよという考えがあるからかも(笑)。
 別にすごい持ち上げようと思ってるわけじゃないけど、僕はショー的な見せ方ってあんまり得意じゃないという自覚があるから。『鶴かもしれない2020』を観たときに、駅前劇場でこれだけ絵と色に緩急をつけながらできるんだって驚いたもん。特に若い演出家の場合、空間を埋めりゃあいいと思いがちなんだけど、みっちーは最初にスカッと見せておいて、そこからガッと埋めるみたいな落差もつけられていた。本当に絵づくりが見事だなあと思って、そのへんの若手の演出家より全然いい仕事をしてると思ってびっくりしました。
小沢 『鶴かもしれない2020』をやる前は、ちょうど海外の演劇をいっぱい観ていた時期だったんですよ。それもあって、ちょっと海外チックにしようという意識はありました。
 
 
今必要なのは、自分たちでやるというDIY精神
 
 美術も自分でつくってるんでしょう? すごいよね。
小沢 今度やる『鶴かもしれない2022』は山本貴愛さんにお願いしましたけど、それまでは自分でプランを描いて、舞台監督さんに図面描いてもらって、仲間と一緒にナグリを持ってやってました(笑)。
 そういうやり方ってもうちょっと見直されていいんじゃないかと最近本気で考えていて。
小沢 それは俳優さんがもっと自分でやっていけばいいんじゃないかみたいなことですか?
 そうそう。11月にやった『TOKYO LIVING MONOLOGUES』もほぼ外部のスタッフを入れずに、なるべく自分たちの手で動かすようにしたんだけど。そうしないと、とてもじゃないけど2000円とか3000円でお芝居を観せるのは無理なんですよ。本当だったら映画と同じぐらいのお金で、ちゃんとお芝居を味わえたなって満足してもらうのが我々の夢。そのためにクオリティを下げず、でもどこかでコストカットしていかないといけないとなると、自分たちでできることは自分たちでやるというDIY精神しかないと思うんだよね。
小沢 確かにもっと俳優さんが自主的にやれる環境があったらいいと思うんですけど、今それができないのって、やり方がわからないからなのかなって。僕がYouTubeで『メイキングかもしれない~小沢道成の創作活動に密着~』というドキュメンタリー映像を公開しているのも、何か自分たちでつくりたいと思っている人たちのヒントになればという思いがあるからなんですけど。
 

カーテンコールが短いのは、恥ずかしいからです(笑)
 
小沢 テーマに対してはどんな印象を持ちましたか。『鶴の恩返し』や『鶴女房』の設定を現代に置き換えたら面白いんじゃないかというところから入った作品ではあるのですけど、すごく重いことを描いている自覚もあって。今は単にキャッチーというだけじゃ絶対にダメだと思って、いろいろ調べて更新してはいるんですけど。
 お話に含まれている深刻さを損なわずに上演しつつ。でも、お客さんを楽しませる工夫が随所に散りばめられているところが好印象でした。舞台美術のパネルが突然動いたり、ダンスがあったり。そういうエンタメ要素があったおかげで、楽しんで観ながら、最後に足払いを食らって倒れた感じがすごくして。演出家的なセンスの良さを感じたのはよく覚えています。
小沢 うれしい!
 あのバランスは本当にすごいなと思いましたよ。冒頭、ちょっとミニマルなところから入って、ラジカセと会話する面白さをしっかり見せた上で、これで60分やりきるのかなと思っていたら、ステージングがどんどん変わっていく。一人芝居なのにあれだけ衣装や照明を使って絵変わりしていくのはすごいこと。演出家って絵をつくる仕事だから。ちゃんと客席から見たときにどういう絵になっているのか客観視できているんだろうなと。
小沢 うれしいです。
 だから言ったのよ、もうちょっとカーテンコールやってもいいんじゃない?って。本当にシンプルだったじゃない? 明かりがついて、お辞儀したらすぐ帰るみたいな。もうちょっと長めにやってもいいんじゃないかっていう(笑)。
小沢 僕なんかがみたいな感覚があるから、すごい恥ずかしいんですよね、カーテンコールって。後ろに引っ込んだあと、拍手が鳴り止まなくても、舞台監督さんに「もういいです」って言っちゃう(笑)。どんどん絵変わりをさせていくのも、僕自身を60分も見るなんて、そんなつまらないことないよという考えがあるからかも(笑)。
 別にすごい持ち上げようと思ってるわけじゃないけど、僕はショー的な見せ方ってあんまり得意じゃないという自覚があるから。『鶴かもしれない2020』を観たときに、駅前劇場でこれだけ絵と色に緩急をつけながらできるんだって驚いたもん。特に若い演出家の場合、空間を埋めりゃあいいと思いがちなんだけど、みっちーは最初にスカッと見せておいて、そこからガッと埋めるみたいな落差もつけられていた。本当に絵づくりが見事だなあと思って、そのへんの若手の演出家より全然いい仕事をしてると思ってびっくりしました。
小沢 『鶴かもしれない2020』をやる前は、ちょうど海外の演劇をいっぱい観ていた時期だったんですよ。それもあって、ちょっと海外チックにしようという意識はありました。
 
 
今必要なのは、自分たちでやるというDIY精神
 
 美術も自分でつくってるんでしょう? すごいよね。
小沢 今度やる『鶴かもしれない2022』は山本貴愛さんにお願いしましたけど、それまでは自分でプランを描いて、舞台監督さんに図面描いてもらって、仲間と一緒にナグリを持ってやってました(笑)。
 そういうやり方ってもうちょっと見直されていいんじゃないかと最近本気で考えていて。
小沢 それは俳優さんがもっと自分でやっていけばいいんじゃないかみたいなことですか?
 そうそう。11月にやった『TOKYO LIVING MONOLOGUES』もほぼ外部のスタッフを入れずに、なるべく自分たちの手で動かすようにしたんだけど。そうしないと、とてもじゃないけど2000円とか3000円でお芝居を観せるのは無理なんですよ。本当だったら映画と同じぐらいのお金で、ちゃんとお芝居を味わえたなって満足してもらうのが我々の夢。そのためにクオリティを下げず、でもどこかでコストカットしていかないといけないとなると、自分たちでできることは自分たちでやるというDIY精神しかないと思うんだよね。
小沢 確かにもっと俳優さんが自主的にやれる環境があったらいいと思うんですけど、今それができないのって、やり方がわからないからなのかなって。僕がYouTubeで『メイキングかもしれない~小沢道成の創作活動に密着~』というドキュメンタリー映像を公開しているのも、何か自分たちでつくりたいと思っている人たちのヒントになればという思いがあるからなんですけど。

 
 あのメイキングもみっちーのアイデア?
小沢 あれは制作の半田(桃子)さんがアイデアを出してくれて。僕は別に見られて悪いものはないので、家とかにも本当に来てもらっているんですけど(笑)。
 家まで来てるの? すごいね(笑)
小沢 タバコ吸ってる姿とか普通に出してます(笑)。やり方とか予算面さえわかれば、もっとみんな自分で公演を打ちやすくなるのかなって。そういうのってなかなか俳優同士で共有できないから。ワークショップみたいなのをやればいいのかな?
 俺ね、近々、そういうワークショップをやろうかと思ってる。
小沢 本当ですか。え、僕も何かお力になれることがあれば。
 ぜひ。共同講師とかで(笑)。
 
 
表現リビドーを持った人がインターネットに吸われている
 
――では、せっかくそういう流れになったので、おふたりで小劇場の課題と可能性について話してもらえますか。
 
 どうしたらいいんだろうね、これから。
小沢 お金の問題は大きいと思います。生活するだけでこんなに大変なのに、インボイス制度とか本当やめて~って(笑)。たぶんこれからどんどん演劇をやりにくくなると思うんですよ。それこそ『鶴かもしれない』の初演はキッド・アイラック・アート・ホールという明大前の小さなギャラリーでした。すごく安い金額で借りられて、俳優が実験的に公演をやるにはぴったりの場所だったんだけど、何年か前に閉館してしまって。何かを始めるにしても、お金がないとなかなかできない。夢を持っていてもやれない人が増えてくる気がしています。
 僕が演劇を始めた頃とずいぶん変わったのは、やっぱりインターネット。僕らが学生の頃は、自分の考えた面白いことを人に観てもらおうと思ったら、物理的に人を集めて上演するしかなかった。だから表現リビドーを持った人は小劇場に集まってきたんだけど、今はYouTubeとかTikTokとかいろんな場所があって、みんなインターネットに吸われていっちゃう。イキのいい暴れん坊な表現者が小劇場に流れ込んでこなくなったのは感じています。
小沢 なるほど。
 でもそこは僕たちが反省すべきところなのかもしれない。僕たちが後輩に夢を見せられてないから、次の世代が続かないという意味で。
 

 あのメイキングもみっちーのアイデア?
小沢 あれは制作の半田(桃子)さんがアイデアを出してくれて。僕は別に見られて悪いものはないので、家とかにも本当に来てもらっているんですけど(笑)。
 家まで来てるの? すごいね(笑)
小沢 タバコ吸ってる姿とか普通に出してます(笑)。やり方とか予算面さえわかれば、もっとみんな自分で公演を打ちやすくなるのかなって。そういうのってなかなか俳優同士で共有できないから。ワークショップみたいなのをやればいいのかな?
 俺ね、近々、そういうワークショップをやろうかと思ってる。
小沢 本当ですか。え、僕も何かお力になれることがあれば。
 ぜひ。共同講師とかで(笑)。
 
 
表現リビドーを持った人がインターネットに吸われている
 
――では、せっかくそういう流れになったので、おふたりで小劇場の課題と可能性について話してもらえますか。
 
 どうしたらいいんだろうね、これから。
小沢 お金の問題は大きいと思います。生活するだけでこんなに大変なのに、インボイス制度とか本当やめて~って(笑)。たぶんこれからどんどん演劇をやりにくくなると思うんですよ。それこそ『鶴かもしれない』の初演はキッド・アイラック・アート・ホールという明大前の小さなギャラリーでした。すごく安い金額で借りられて、俳優が実験的に公演をやるにはぴったりの場所だったんだけど、何年か前に閉館してしまって。何かを始めるにしても、お金がないとなかなかできない。夢を持っていてもやれない人が増えてくる気がしています。
 僕が演劇を始めた頃とずいぶん変わったのは、やっぱりインターネット。僕らが学生の頃は、自分の考えた面白いことを人に観てもらおうと思ったら、物理的に人を集めて上演するしかなかった。だから表現リビドーを持った人は小劇場に集まってきたんだけど、今はYouTubeとかTikTokとかいろんな場所があって、みんなインターネットに吸われていっちゃう。イキのいい暴れん坊な表現者が小劇場に流れ込んでこなくなったのは感じています。
小沢 なるほど。
 でもそこは僕たちが反省すべきところなのかもしれない。僕たちが後輩に夢を見せられてないから、次の世代が続かないという意味で。

 
――谷さんはやはり先輩をロールモデルにやっていたところはあったんでしょうか。
 
 そうですね。高校のときに鴻上(尚史)さんや野田(秀樹)さんを観て。そこから最近はKERA(ケラリーノ・サンドロヴィッチ)さんや松尾(スズキ)さんが面白いぞという話を聞いては戯曲を読み。近い世代でいうと、やっぱり長塚圭史の存在は大きかったですね、特にロールモデルという意味でいうと。
小沢 僕は、そういう意味では野田さんの影響はすごい受けてますね。僕が女性をやるのも野田さんの影響かもしれないし。
 みっちーの演劇的な遊び心に満ちてるところは、確かに野田さんっぽさはあるかもしれない。
小沢 初期の頃は、言葉遊びを入れてみたり、恥ずかしいくらい野田さんに影響されてるようなものを書いてました(笑)。
 きっと僕とかみっちーのような演劇に心酔している人たちは一定数いて。その人たちはこれから先も演劇をやっていくと思うんですよ。問題は、そうじゃない人たち。漠然と何かやりたいと思っている若い人たちの受け皿としての演劇というものが昔より小さくなってきているのかなと。
 
 
小劇場で得た収穫物を大劇場に分けてあげる感覚はある
 
小沢 僕にとっては、小劇場もやりつつ、大きい劇場もやっている谷さんの存在は希望なんですけどね。
 僕自身も大きい劇場もやれるように自分を成長させていきたいという野心や目標を持ってこの5年10年はやっていたので。こうやって今、大きなハコでやらせてもらえているのは、ひとつの夢が叶ったところではあります。
小沢 でもきっと谷さんはこれからも小さい劇場でやるような公演もやり続ける感じがするんですけど。
 それはすると思う。やっぱり小劇場には小劇場にしかない面白さや可能性があって。さっき言ったみたいに、あちこちから判子をもらわなくても、自由に勝手なことができる。そこで得た収穫物をたまに大劇場に分けてあげるみたいな感覚は自分の中にありますね。
小沢 わかります。大きな劇場で、小劇場でやるような実験的なアイデアとかアナログな手法を見ると面白くて。大きな劇場でも通用するんだって希望をもらえます。
 それこそ宇宙レコードの小林顕作さんなんて、2.5次元ミュージカルとか商業の舞台でデタラメなことをやっているじゃない? すごいよね、あの人。
小沢 顕作さんとは舞台『パタリロ』でご一緒しましたけど、すごいんです。銀河劇場みたいな大きな劇場でやるのに、道具とかすっごい小さくて(笑)。その分、お客さんが前のめりになって観ちゃうみたいなところがあるんですよね。本当に宇宙レコードでやってることをそのままやっててすごいし、面白い。
 あの人こそまさに小劇場の収穫物を大劇場に利用している稀有な例だよね。
小沢 大きい劇場に行ったら、どうしても映像に頼りがちな演出方法が増えますけど、そうじゃなくて。小劇場でやっているような影絵を使った演出がすごくカッコよかったり。大きい劇場でやるからこそ人形を役者が操ったり、転換も全部俳優がやったり、そういう“人がやっている強さ”に感動することはあると思います。
 小劇場出身の人間として、そういう力は信じたい。もちろんこれからも大きい劇場でどんどん仕事はしていくけど、あくまでも小劇場でやってることの方が自分の本分なんだぞみたいな意識は変わらず持ち続けたいなと思っています。
 

――谷さんはやはり先輩をロールモデルにやっていたところはあったんでしょうか。
 
 そうですね。高校のときに鴻上(尚史)さんや野田(秀樹)さんを観て。そこから最近はKERA(ケラリーノ・サンドロヴィッチ)さんや松尾(スズキ)さんが面白いぞという話を聞いては戯曲を読み。近い世代でいうと、やっぱり長塚圭史の存在は大きかったですね、特にロールモデルという意味でいうと。
小沢 僕は、そういう意味では野田さんの影響はすごい受けてますね。僕が女性をやるのも野田さんの影響かもしれないし。
 みっちーの演劇的な遊び心に満ちてるところは、確かに野田さんっぽさはあるかもしれない。
小沢 初期の頃は、言葉遊びを入れてみたり、恥ずかしいくらい野田さんに影響されてるようなものを書いてました(笑)。
 きっと僕とかみっちーのような演劇に心酔している人たちは一定数いて。その人たちはこれから先も演劇をやっていくと思うんですよ。問題は、そうじゃない人たち。漠然と何かやりたいと思っている若い人たちの受け皿としての演劇というものが昔より小さくなってきているのかなと。
 
 
小劇場で得た収穫物を大劇場に分けてあげる感覚はある
 
小沢 僕にとっては、小劇場もやりつつ、大きい劇場もやっている谷さんの存在は希望なんですけどね。
 僕自身も大きい劇場もやれるように自分を成長させていきたいという野心や目標を持ってこの5年10年はやっていたので。こうやって今、大きなハコでやらせてもらえているのは、ひとつの夢が叶ったところではあります。
小沢 でもきっと谷さんはこれからも小さい劇場でやるような公演もやり続ける感じがするんですけど。
 それはすると思う。やっぱり小劇場には小劇場にしかない面白さや可能性があって。さっき言ったみたいに、あちこちから判子をもらわなくても、自由に勝手なことができる。そこで得た収穫物をたまに大劇場に分けてあげるみたいな感覚は自分の中にありますね。
小沢 わかります。大きな劇場で、小劇場でやるような実験的なアイデアとかアナログな手法を見ると面白くて。大きな劇場でも通用するんだって希望をもらえます。
 それこそ宇宙レコードの小林顕作さんなんて、2.5次元ミュージカルとか商業の舞台でデタラメなことをやっているじゃない? すごいよね、あの人。
小沢 顕作さんとは舞台『パタリロ』でご一緒しましたけど、すごいんです。銀河劇場みたいな大きな劇場でやるのに、道具とかすっごい小さくて(笑)。その分、お客さんが前のめりになって観ちゃうみたいなところがあるんですよね。本当に宇宙レコードでやってることをそのままやっててすごいし、面白い。
 あの人こそまさに小劇場の収穫物を大劇場に利用している稀有な例だよね。
小沢 大きい劇場に行ったら、どうしても映像に頼りがちな演出方法が増えますけど、そうじゃなくて。小劇場でやっているような影絵を使った演出がすごくカッコよかったり。大きい劇場でやるからこそ人形を役者が操ったり、転換も全部俳優がやったり、そういう“人がやっている強さ”に感動することはあると思います。
 小劇場出身の人間として、そういう力は信じたい。もちろんこれからも大きい劇場でどんどん仕事はしていくけど、あくまでも小劇場でやってることの方が自分の本分なんだぞみたいな意識は変わらず持ち続けたいなと思っています。

取材・文:横川良明  写真:山野浩司

第1弾掲載
本 多 愼 一 郎
2021年11月13日 公開

 

第2弾掲載
徳 永 京 子
2021年12月6日 公開

 

第3弾掲載
小 泉 今 日 子
2021年12月25日 公開

 

第4弾掲載
谷 賢 一
2022年1月22日 公開

 

第5弾掲載
石 崎 ひ ゅ ー い
2022年2月5日 公開

  
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本 多 愼 一 郎
2021年11月13日 公開

 

第2弾掲載
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2021年12月6日 公開

 

第3弾掲載
小 泉 今 日 子
2021年12月25日 公開

 

第4弾掲載
谷 賢 一
2022年1月22日 公開

 

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石 崎 ひ ゅ ー い
2022年2月5日 公開